心のお薬になる本(55)『あっ! 命の授業』ゴルゴ松本/著
この(55)「心のお薬になる本」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★心のお薬になる本(55)
◆『あっ!命の授業』ゴルゴ松本/著
今回紹介する本は、芸能人ゴルゴ松本の書いたユニークで、感動させられる本『あっ!命の授業』です。
私はこの本を知る前に、テレビ番組でゴルゴ松本の「少年院ので授業風景」を見て感動させて頂きました。
彼は、4年前から、少年院で「命の授業」をしているそうです。これは中々できることではありません。本当に頭が下がります。
そして、この本『あっ! 命の授業』を即、アマゾンで買いました。
この本の表紙カバーを取ると「日本語は愛(あい)ではじまり、恩(をん)でおわる」と表紙に書いてあります。まさにこれは、仏教では「あ・うん(阿吽の呼吸)」ですが、それを、彼は「愛・恩(あい・をん)」だと…。ナルホド、納得…。やはり、「あいうえお」の日本語を愛する日本人だからこその発想でしょうね。
この本だけ先に読むと、「薄っぺら」とか「あざとい」などマイナスの評価をされる人もいますが、この本は、彼の人柄や行動すべてがギュッと凝縮されてできた「モノ」であり、それはただの「物」ではなく、「モノコト」を含んだ貴重な「モノ」で、だから、彼は決して「タダモノ」ではないのですね。
「本」って、見えない「情報」がギュッと詰まったあの世的な「知」のモノだから、それを感じるには、この世的な思考「智」は、本来必要ないんですね。特に学術的な「本」以外は…。
だから、この本は、中国寄りの学者などには絶対に書けない本なのです。なぜならば、「魂」で感じて書いている、「命」を削って書いている、「ホン」なのですから…。
陰陽五行の「愛」のない中華思想に翻弄された学者や研究者には、決して、書けない「シロモノ」なのです。
だから、読む人間も、真に日本を「愛」し、接する日本人に「恩」を感じる心ある人でなければ、決して感動できないでしょう。この本は、日本人としての襟を正す「踏み絵」なのかもしれません。
古い古い昔に、中国人だったという説もある聖徳太子が中国の漢字やインドの仏教を徹底的に日本に広め、それ以後、日本人は漢字の呪縛から逃れられなくなりましたが、漢字そのものが悪いのではなく、それを信じ込まされた私たちの先祖たちが余りにもお人好しだったからでしょうか? いえいえ、昔の人はそれも承知の上で「言揚げ」しなかったのです。ちなみに、聖徳太子は、架空の人物だったという説もありますが、私もその説は捨てがたいと思いますが、皆さんは? それを解読するには、蘇我一族のコトをもっと真剣に研究すると判るのでは?
漢字の起源に関しても、皆さんは、おかしいと感じませんか?
なせなら、漢字の多くは「女」扁で出来ています。これは、女性中心の「文明」が漢字を造ったことを意味します。だから、決して大陸にいた男尊女卑の「弥生人」が造ったモノではないのです。
女性中心の民族はというと、「縄文人」です。では、縄文人が漢字を造ったのかと言うとそれもどうやら違うようで、縄文以前に、漢字はあの世とこの世を行き来できた「人神」が造ったという説があります。だから、漢字は本当は「完字」と書いて、それは昔の「大和文字」のカタカナを色々に合せて造ったのだそうです。これは、一級の霊能者であった川面凡児が唱えています。
宗教家で霊能者でもある浅見宗平は、カタカナを「象形神字」、ひらがなを「日霊神字」といって、両方とも「神字(カンジ)」であると…。また彼は、五十音を「アオウエイは太古の始めの唱え方で未だ定まるべき所に定まらない状態の時に唱えた五十音」といい、「アエイオウは地球上の海や陸地、山や空を動かして大調和させるために唱えた五十音で天津菅麻祝詞(アマツスガソウノリト)」といい、さらに「アイウエオは人間世界も秩序正順とする為に唱えた五十音。天津祝詞(アマツノリト)」であって、現在は実質、「四十七音なので、正しく五十音を唱えないと神事神技の祝詞ではない」とも言われていますが…。
この説は一部は納得するのですが、「カタカムナ四十八音」からすると、ちょっとおかしいかなとも…。
何を言いたいかというと、結局、殆どのモノコトは、霊能者と言えども、その人の「智」の部分がちょっとでも入ると、その人の真理になってしまうと思うのです。だから、その人の説を尊重しながらも、ちょっとでも「変?」と感じたら、心や想念を「素」にして「お天道様」や「お蔭様」にお聴きすべきなのですね。現在は隠されていた裏が表に現れるトキだそうなので、裏の闇がドンドン暴かれています。裏とは「心」でもあるので、心がウソを付けない時代ともいえるのですから、ウソで覆われている歴史や人物などもドンドン真相が曝け出されているようですが、まだまだ気づかない人も多い。まだ、あと4.5年はかかりそう…。
ちょっと横道にそれてしまいましたが、決して、この「本」をけなしているのではないことを、どうかご理解くださいね。
さらに、この本を読んでいて感じたことで、またこの本とは関係ないことなのですが、私は、ちょっと「なぜ?」って感じたことがあります。
それは、「明後日」は「あさって」ですが、なぜ、未来は自分の「前」に広がっているのに、「後」の字がつくのでしょうか?
過去が自分の「後」へ過ぎ去っていくのでは ないでしょうか?
だったら、未来の「あさって」は、「明前日」では?
ツラツラ考えますに、他にもおかしい「ことば」がありました。
「以前」とは、自分の前にある未来の出来事であり、本当はまだ、体が通りすぎていない、まだ済んでいないコトを言うのでは? 実は、以前とは未来のこと?
「以後」とは、自分の後ろにある出来事であり、もう済んでしまったコトではないでしょうか? 実は、以後とは過去のこと?
ナンカ、ちょっと、変ですね~。
いえいえ、決して、この本の内容が「変」というのではないのですよ。
私が勝手に、この本の中にあった「明後日」から、変なコトを感じただけ、なのです。
さらに、「右」と「左」、或は「上」と「下」。これらも、よくよく考えないと「変?」だと感じます。
人間から見て、考えたら全部ダメ。
昔の人は、「向かって右」とか、「向かって左」とか言って、神様側から見て、概念を理解していたのですが、現在は、それが全部無視されています。
天皇と皇后やお雛様の左右の並び方が、おかしいそうで、「神理」を間違えると大変なコトになるそうです。だから、いずれ「皇室」は無くなるそうですよ。
他にも、昔の「北」は「下」になっていますが、それが良い例です。神様から見れば、それが正解なのですね。
虹の色も、あの世から見るのと、この世から見るのとでは、全く反対ですが、昔の日本人は、神様の神意を理解していたのですね。
早い話が、年齢を数えるのが「満年齢」と「数え年齢」がありますが、これも魂の存在を無視する文化の言いなりになれば、今の「満年齢」が正しいとなるのですね。
また、この本に、「おむすびは神様です」とありますが、本当にそうですよね。
「おむすび」とは、もともと、高御産巣日神と神産巣日神の「むすび」を現し、掌の「たなゴコロ」を使って作らないとエネルギーが入らないのです。
手を使うことが得意な日本人は、手にも「心」があることを知っていたのです。「のどボトケ」という喉に仏がある如く…。だから、のどから発する音には「神仏」が宿ると言われる所以でしょうか。
だから、生命を産む「おむすび」のほうが「おにぎり」よりも大切なんですが、現代は、日本を代表するお寿司は「にぎり寿司」なので、実はこれもちょっと「変?」。
「にぎり」は、俵形をしていて、お米を「年貢米」として取り立てる側が、考えた物であり「ことば」でしょうか? でも、大黒様は俵を抱えていますよね~。ちょっとうがちすぎかもしれませんが…。真実やいかに?
でも、最近は、「おにぎらず」なんて、主婦が楽だからって、流行っておりますが、どれだけエネルギーのない「もやしっ子」を造るんですかね~。
一体、どこの誰が考えたコトなんでしょうか? 怖い、怖い。
掌の「たなココロ」を使わないで、指先だけで、コチョコチョっと、「心(命)」の入らないモノを大切な子供に食べさせるなんて…。
だから、「心無い」ない子供が増えるのか…。「心」の無い子は「人で無い子」で、それこそ、「人で無し」を量産することに…。
今の「いじめ」が絶対無くならないのは、そういうことが底辺にあるのでは? なぜならば食べ物は、人の「命」の元だから…。
色々、この本とは関係ない話を書いてしまいましたが、この本は、すべての日本人に読んで頂きたい本であることは、間違いのない事実です。
そして、この本を読んだ日本人が、本当の漢字(完字)の「字源」に目覚めるべきなのです。
私は、姓名解読リーディングでは学研の「漢字源」を使用していますが、その理由は、日本人の集合無意識には、まだまだ、漢字は中国からという意識が充満しておりますので、それが現在の「概念」となっています。だから、仕方なしに、使用しているといっても過言ではありません。
また、集合無意識よりももっと大事なことは、その人が、自分の名前の字にどういう思いを持つか、それが潜在意識に深く潜んで、その人の人生にいかに影響しているかが重要だと思っています。どんな良い意味の漢字でも、その人がそれを意識しないとダメなのです。だから一字一字のどういうイメージを持っているかをカウンセリングではお調べしますので、その人との対面形式でないと無理なのですね。
さらに、私は漢字の「基字」も大切と唱えていますが、それは人間は、60兆もの細胞や分子や原子でできているので、漢字ができた元の字「基字」を知れば、その人をその人足らしめている「本質」が判るのではとの直感で、「字源」のリーディングをしています。
こういう「姓名」を使っての悪ンセリングは、ともすれば、「占い」もどきに間違われやすいのですが、私はその人の本質は「名前」に関わると信じておりますので、私が「姓名解読」を取り入れるのは、一種の技法の一つであり、フロイトが「精神分析」を患者に用いるのと同じなのです。
日本人の多くの人の概念が、学研の「漢字源」ではなく、市井の人々の感じたモノ、例えば、今回のゴルゴ松本の『あっ!命の授業』のあるような内容を信じ切れば、潜在意識が変わりますので、私も、「101匹目の猿」状態になれば、変えてやっていきたいと思います。
一日も早く、このゴルゴ松本の『あっ!命の授業』が、日本人の集合無意識に充満する日を望んでおります。
その時は、きっと、日本が世界の中心のなる日であって、日本人がこの地球の元の民族としての役目を果たせる時でしょう。
ゴルゴ松本様、本当に素晴らしい『あっ!命の授業』をありがとうございます。
色々なことを考えさせて頂きました。
まずは、小学校の国語の時間に良識のある先生が、この『あっ!命の授業』を生徒に読んで上げてほしいですね。